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ゴリとラーのAV放浪記

鑑賞したAVを、感想文的にブログに記録しておこうと思います。

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劇場版BiSキャノンボール2014

BIS

様々な極があり、多くの要素が絡み合っている事で思考が錯綜した。


キャノンボーラー達が挑むのはアイドルである。

もちろん、彼らは勝ちにはいくが、

初めから負けは確定していると言っても過言ではないだろう。

なぜならば、アイドル達はドキュメントの取材としか知らされておらず、

彼女らに勝ちとか負けと言う要素はない。


その様な存在に、勝負を仕掛けても

そもそもアイドル側に勝負と言う概念は欠如している。

ならば、どうのうようにして闘い、どうやって負けるかだ。

AV監督たちは、その生息域とは全く違う領域で本能に任せてうごめき、のたうち、

無限に戦い続ける。勿論、6者6様に。

アイドル達の歌が、ダンスが、ファンの歓喜を共通意志として、

無数の命が一つの命の様に紡がれるさまに感動して魅せられ、

感傷たっぷりに跪いて花束を捧げる歴戦の騎士もいれば、

アウェイ環境を物ともせずに炸裂する者もいる。

また、暗黙の了解のもと、大人のやりとりをする者もいる。


そして、全体を俯瞰してみれば、アイドルたちは、

後出しの権利を持っている大人とジャンケンをしている様なものである。

抽象的ではあるが、非常に不条理な状況に置かれたイコンである。

そして、彼女達は煌びやかベールをまとった普通の女の子である。

大人達が作りあげた商品であると言う残酷な一面もある。 


あるアイドルは、悔しさに涙を流して怒り、

その怒りの対象は、プロデューサーだけではなく、

AV監督にも向けられる。

それは仕方のない事で、当然の事ではある。

だけれども、AV監督達は実行犯であるけれど、首謀者ではなく、

共犯者であると同時にある意味被害者でもある。


大人、アイドルである普通の女の子、そしてAV監督が織りなす

これは、終わりの始まりではなく、始まりの終わりでもなく、

ただBiSの終わりの物語である。

だからこそ、残酷さや不条理が映し出されてしまう。


また、カンパニー松尾監督をはじめとするHMJMのイズムは、

「つまらない大人にはなりたくない」であろう。

そして、本作の監督達は、決してつまらなくはない。

問題は、本作の性格上、どうしても「つまらない大人の世界」、

すなわち、つまらない大人の都合、つまらない大人の事情が映し出されてしまう。


この作品で、カースト最上位にいるプロデューサーでさえも

現実世界では、カーストの頂点にはいられない。

とは言え、結局の所、突き詰めていけば、

残酷であろうが、不条理であろうが、つまらない大人の世界が映り込んでも

これが現実。だからこそ、ドキュメント。


この作品は、賛否両論と言われているけれど、

結局の所、「劇場版キャノンボール」である。

どんな形であれ、楽しめるか楽しめないかは、人それぞれであり、

それは是非に及ばない。

もしくは、残酷さと不条理を内包しているドキュメントとして捉えるか

企画自体がミスディレクションとするのかの違いだろうと思われる。


しかしながら、劇場版ではあまりにも時間が短すぎる。

故に、全ての事象はあやふやなままに提示され、

それを洞察するには、あまりにも多くの事が入れ乱れすぎている。

もし、未来に、長尺のDVDが発売される事になれば、

あやふやな事が、確かな事となって提示され、

あやふや故に、思考が錯綜していたものが、

そうでなくなり、思考が飛躍するかもしれない。


それはともあれ、『テレクラキャノンボール2013』を観た時の様に

笑ったり、嘔吐いたりと感情の起伏は、あまりなかったのは確かだけれど、

それもまたドキュメント。それこそがドキュメントと捉えた。

でも、多くの人が口にするモヤッモヤッした感覚は解らなかった。

個人的な感想は、思考が交錯する程の何かを感じた。

結局の所、何が面白くて、どこが楽しめたとか聞かれても

たぶん、答えられない。

自分の感覚のいいかげんさに戦慄してる。
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| 徒然なるままに | 23:56 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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